「安全教育は大事だ」
そう言われて、納得している人はどれくらいいるだろうか。
形式的な講義。
毎回似たような事例。
正直、どこか他人事に感じてしまう。
私自身、そうだった。
だが、その認識は一度の事故で覆された。
これは、隊員を負傷させてしまった経験から学んだ、
「本当の安全」についての話である。

形だけの安全教育に感じていた違和感
海上自衛隊では、頻繁に安全教育が実施される。
過去の不安全事象を学び、
グループディスカッションを行い、
安全対策を発表する。
だが、正直に言えば、私はこれが嫌いだった。
内容はどこか似通っていて、目新しさがない。
「またこの話か」と感じることも多かった。
それに加えて、どこかでこう思っていた。
「自分は大丈夫だ」
過去の事故事例を見ても、
どこか他人事だった。
事故は、突然起きた
そんなある日、事故は起きた。
作業中、隊員の手に脈動した燃料配管が衝突し、
左手薬指の先端が壊死しかける重傷を負わせてしまった。
その瞬間のことは、今でもはっきり覚えている。
現実を受け止めきれなかったのか、
視界がモノクロになり、
下半分が真っ暗になった。
「まずいことが起きた」
そう理解した瞬間、身体が固まった。
事故の原因は一つではなかった
後から振り返ると、原因は明確だった。
ただし、一つではない。
- 作業の事前練習が不十分だった
- 詳細な実施要領を作っていなかった
- 指揮命令系統が曖昧だった
- 機械への理解が足りなかった
- 安全への配慮が甘かった
- 部下の練度を過信していた
どれか一つでも防げていれば、
事故は起きなかったかもしれない。
だが実際には、複数の要因が重なり、事故は起きた。
「自分は大丈夫」という慢心
振り返って痛感したのは、
すべての根底にあったのはこれだった。
「自分は大丈夫」という慢心。
安全教育が響かなかったのも、同じ理由だ。
どこかで、自分は例外だと思っていた。
事故は“他人に起きるもの”だと思っていた。
だが現実は違った。
事故は、特別な人にだけ起きるものではない。
準備を怠った人間に、等しく起きる。
たった一度の事故が、すべてを変えた
この事故以降、私は作業への向き合い方を完全に変えた。
- 作業前に詳細な実施要領を策定する
- 指揮命令系統を明確にする
- 不測事態への対処を事前に決める
当たり前のことを、徹底してやるようになった。
それまで何度も受けてきた安全教育よりも、
たった一度の事故の方が、はるかに強く自分を変えた。
なぜ安全教育は響かないのか
ここで一つ、考えた。
なぜあれほど安全教育を受けてきたのに、
自分は変わらなかったのか。
おそらく理由はシンプルだ。
「痛みを伴っていなかったから」
知識として理解していても、
実感がなければ人は変わらない。
本や講義は、あくまで“間接経験”だ。
それだけでは、自分事にはならない。
本当の安全とは何か
では、本当の安全とは何か。
それは単に「知っていること」ではない。
「自分の問題として捉え、具体的に行動に落とし込むこと」だ。
- この作業で何が起きうるのか
- どこにリスクがあるのか
- どうすれば防げるのか
これを、自分の頭で考え、準備する。
そこまでやって、初めて「安全」と言える。
あの事故を忘れないために
あのとき負傷させてしまった隊員のことは、今でも忘れない。
あの経験は、自分にとって強烈な教訓となった。
できることなら、二度と同じことは起こしたくない。
だからこそ、これからも問い続けたい。
「この作業は、本当に安全か?」
その問いを持ち続けることこそが、
本当の安全教育なのだと思う。


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