今回は清水市代(しみずいちよ)を紹介します。
女流4冠制覇、クイーン四冠制覇などの偉業を成し遂げ、2025年には女性初の日本将棋連盟会長に就任した清水市代。
女流棋界の顔と言えば、清水市代といっても過言ではないですよね。
清水市代の結婚相手は?年収は?将棋を覚えたきっかけは?
そんな疑問に答えていきます。
清水市代の結婚相手は?
清水市代は現在独身です。
意外ですよね!筆者はてっきり結婚されているものとばかり思っていました。
結婚する意志があるかどうかは不明です。
わかり次第追記します。
ご本人が望みさえすれば、いくらでも縁談の話はあるような気がします。
清水市代の年収は?
日本将棋連盟会長に就任した清水市代の年収はいくらなんでしょうか?
気になる読者も多いと思います。
日本将棋連盟の役員報酬規程によると、会長の報酬は月額410,000円。
ボーナスが年2回あるので、ボーナスを月額×4か月分と仮定すると、
会長の年収の推定額=410,000円×12か月+410,000円×4か月×2=8,200,000円
との計算が導き出されます。
多いような、いや会長にしては少ないような・・・
ただ、この計算は筆者の計算なので、間違っている可能性も当然あります。
気になる方はご自分で計算してみて下さい。
清水市代が美人!将棋連盟会長のプロフィール紹介!
清水市代のプロフィールを紹介します。(2025年11月現在)
| 生年月日 | 1969年1月9日生まれ(56歳) |
| 出身地 | 東京都東村山(ひがしむらやま)市 |
| 段 位 | 女流七段 |
| 女流棋士番号 | 7 |
| 師 匠 | 高柳敏夫(たかやなぎとしお)名誉九段 |
| プロ入り | 1985年4月1日(16歳) |
| 得意戦法 | 相掛かり |
| クイーン称号 | クイーン名人・クイーン王位・クイーン王将・クイーン倉敷藤花 |
| タイトル獲得数 | 女流名人10期、女流王位14期、倉敷藤花10期、女流王将9期 合計43期 |
| 一般棋戦優勝 | 11回 |
| 血液型 | 不 明 |
| 身 長 | 不 明 |
| 趣 味 | 読書、茶道(裏千家)、家庭菜園 |
タイトル獲得数43期は、福間香奈の65期に次ぐ歴代2位です(3位は西山朋佳の20期)。
1996年には、女流王将を奪取し、当時存在する4つのタイトルを全制覇。
2000年には、5期目の女流王将を獲得して、当時存在する4つのタイトルについてクイーン四冠を達成。
2009年には、第35期女流名人位戦五番勝負を制して、矢内理絵子から女流名人を奪取し、女流タイトル獲得最年長記録(40歳1か月)を更新しました。
2020年には、類まれなる成績により、史上初の女流七段に昇段しました。
これだけみても、いかに清水市代が強者だったかがよくわかります。
同時期に羽生善治が7冠全制覇を成し遂げていたことから、「女羽生」(!?)とも言われていたみたいですからね。
清水市代は、女流棋士としては珍しく弟子をとったことがあります。
弟子は石橋幸緒元女流四段。
女流棋士が師匠である例は、清水市代-石橋幸緒の師弟関係が唯一の例だとのこと。
これも意外ですよね。なぜ女流棋士で師匠になる方が他にいないのでしょうか。
師匠になった清水市代がそれだけ規格外の存在だったことがよくわかりますね。
趣味の茶道(裏千家)は、19歳から習っています。
女流の4つのタイトルを全部制覇して、将棋に対するモチベーションを失っていた時、
茶道の師匠からの、
「タイトルの数を増やすことがあなたの目標なの?」
という一言にハッとなり、
「昨日より今日、今日より明日の自分を成長させる」
という新しい目標を立てました。
将棋も茶道もなにか一つのことを極めるという点では同じなので、
茶道の師匠の一言が、将棋に対する向き合い方を大きく変えることができたんでしょうね。
清水市代が将棋を覚えたきっかけは?
小さい頃の清水市代は相当なおてんば娘で、外で遊ぶことの方が好きだったものの、
小学5年生の頃、遊んでいた時に鉄棒からの着地に失敗して右腕を骨折。
骨折の入院中に、将棋教室を営む父に将棋を習ったのが、将棋人生の始まりです。
中学2年生の時に参加した女流アマ名人戦に自信満々で参加したところ、1回戦でやむなく敗退。
それで天狗の鼻が折れて負けん気魂に火が付き、
中学3年生の時に参加した第15回女流アマ名人戦では見事優勝。
その時にプロ入りを志すものの、予想に反して父親からの大反対にあい、
「優勝したら歴史に名を残せるが、2番以下は誰の記憶にも残らない。それでも進む勇気はあるか?」
などと父から詰められ、半年間に及ぶ家族会議(!?)が始まりました。
「プロになるなら約束事を決めよう」
と父から言われ、
「じゃあ、てっぺんを目指します」
と答えた清水市代。
それでなんとかプロ入りを目指すことを両親に納得させることができました。
本当に後年女流棋界のてっぺんに君臨したのだから、清水市代の有言実行にはしびれますね。かっこよすぎます。
女流育成会に入り、高校2年生に上がる1985年4月1日付で晴れて女流棋士となりました。
まとめ
いかがだったでしょうか。
女性初の日本将棋連盟会長ということで、これまでの会長とはまた違った新鮮な風を将棋界に吹き込んでほしいですね。
清水市代の益々のご活躍を祈念します!


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